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400年以上続く古梅園の歴史

古梅園, メーカーについて

室町末期に始まった古梅園の製墨業

古梅園が奈良の地で製墨業を始めたのは室町末期のことで、初代 松井道珍(1528-1590)は官名土佐掾を拝領した。
二代 道慶は官名土佐掾を拝領、以後この官名は代々受け継がれていく。
三代 道寿(1611-1697)は、梅花を好み軒下に多くの梅の樹を植え、世人は古梅園と称するに至った。
四代 道悦(1641-1711)の子、五代 元規は学問を好み、伊藤仁齋に師事して学問を修めた。
『諸家人物志』(寛政4年 1792版)には、「松月元規、東庵と号す。南京の墨工なり。頗る文雅を好み、名家と交る。
家造の墨譜を作り、雅客文人もしくは詩を乞うて冊とす。世々古梅園を以て通称とす」とあるように、商儒として知られ、その詩を集めた『東庵詩稿』を刊行した漢詩人でもあった。
一方、和墨の研究、改良にも励み、その遺志は六代 元泰に受け継がれた。

元泰(1689-1743)については『古今墨跡鑑定便覧』(安政2年 1855版)の紹介が要を得ている。
「名は元泰、字は貞文。玄々齋と号す。南都の墨工なり。和泉掾を以て世々通称とす。父東庵学を好み、又詩を能くす。元泰、父の箕裘を嗣て、嘗て書を唐土に通じ、彼土の墨法二品を伝う。其の法に依て精製す。再び元文中、官許を得て長崎に赴き、清人の解墨の法を見、又精造す。元泰頗る書を善くせり」

元泰が中国の製墨法を探求せんとした努力は、『墨譜』の処々に記された文にも示されているが、元文4年(1739)に官許を得て長崎に赴き、長崎寄留の清国人9人と、中国に於ける製墨法について質疑応答した際の記録が『唐人墨製問答之記録』と題する自筆本で残されている。

また日本の製墨の起源を研究したものに『延喜式墨本私考』があり、これも自筆本で残されている。また「豊山香墨」に寄せられた文人の詩を集めて『名墨新詠』(『古梅園名墨新詠』)にまとめ、正徳2年(1712)に刊行、さらに清人の寄せた詩を集め『大墨鴻壺詩集』にまとめ、享保19年(1734)に刊行している。

文墨に対する深い嗜みと、造墨業に対する熱意の結実がこれらの墨に関する書物であるが、その精通はやはり『墨譜』と『古梅園墨談』ということになろう。
七代 元彙もまた父の遺志を継ぎ、紅花を混ぜた「紅花墨」を創製するなど、墨業に励むとともに、父の『墨譜』を継ぎ『後編』を編纂した。
要するに、元規―元泰―元彙の三代にわたり、古梅園は造墨の面で大きな進歩を遂げると共に、墨史の面でも貴重な研究成果を著作に残したのである。

古梅園 歴代当主

始祖 松井道珍(1528―1590)[ 官名 土佐掾 ]

大和国十市(やまとのくにとおち)城主 中原遠忠につかえ、天正五年(1577)に南都の地(奈良)に移住して製墨業を始めた。 当時は日本の製墨業も未熟であったため、『延喜図書寮造墨式』・『李家製墨法』・『空海二諦坊油煙製法』などにより研究を重ね、良質墨の製法を開発。慶長8年(1603)には良墨を朝廷に献上。その功により、「土佐掾」の官名を賜った。通称、又三郎。

二世 松井道慶(1578―1661)[ 官名 土佐掾 ]

自宅庭の一隅に梅の古木があり、来訪した文人や墨客が皆その古木を賞揚したため、これより梅の古木にちなんだ園号として『古梅園』の称が誕生した。 桐箱の銘には「古梅園 初代翁作」とあるため、「古梅園」と園号を誕生させた 二世 道慶 の作と推測。

三世 松井道寿(1611―1697)[ 官名 和泉掾 ]

徳川幕府の用達を受け、江戸に駐し、諸侯邸の用命を承った。

四世 松井道悦(1640―1711)[ 官名 土佐掾 ]

五世 松井元規(1660―1719)[ 官名 越後掾 ]

儒者 伊藤仁齋の門をくぐり、学業を修め、東庵と号しました。

六世 松井元泰(1689―1743)[ 官名 和泉掾 ]

別名、玄々齋貞文。 元文四年(1739)、幕府の許可を受けて長崎で清人墨家の程丹木・汪君奇などと交友を持ち、両国製墨法の技術交流を図った。 その後『古梅園墨譜 四巻』、『古梅園墨談』、『墨話』などの文献を著。墨譜四巻の木型絵図の中には、現在も製造されている八角老松(八角)・寫經墨・玉蘭・大哉布袋(布袋)などが含まれている。

古梅園 中興の祖である六代 元泰が造った墨。 和墨の改良に努め、元文四年官許を得て長崎で清国人墨司と製墨法を交換良墨を製する年代の代表銘墨。

七世 松井元彙(1716―1782)[ 官名 和泉掾 ]

父 元泰の命により、紅花墨を試作、完成させ『古梅園墨譜 後編五巻』を著した。 以後『墨=古梅園』と同一語に用いられる程、人口に膾炙され、墨譜後編には五魑・竹林七賢・神仙墨・紅花墨・飲中八仙・玄之又玄など、現在も製墨されている墨が含まれている。

「古梅園墨譜後編」を著し、書用墨「紅花墨」と称する銘墨を創作。 更に清国人と交遊することで画用墨も創った。 時代の銘墨中の銘墨。

八世 松井元孝(1756―1817)[ 官名 和泉掾 ]

官名「和泉掾」を賜り、家業泰平に墨業を営む。

江戸中期の化政時代に開花した文化の中で、墨型を作製した中の銘墨。

九世 松井元誼(1799―1857)[ 官名 和泉掾 ]

官名「和泉掾」を賜り、家業泰平に墨業を営む。

十世 松井元長(1828―1865)[ 官名 土佐掾 ]

明治維新に際し、官名を奉還して「宮内庁御用達」となる。
土佐掾の冠名を明治維新に際して官名を拝辞。

宮内庁御用達となった自慢の代表的銘墨。

十一世 松井元淳(1862―1931)

奈良市名誉市長を務め、大正四年営業を会社組織に改めた。

明治維新。業界では逸早く外交員を全国津々浦々まで派遣し、市場拡大した際の銘墨。

十二世 松井貞太郎(1884―1952)

貴族院議員、奈良市名誉市長を歴任。 製墨業界に貢献した。

十三世 松井元慎(1913―1967)

終戦時の激動期に際しても四百年の老舗を堅守した。

十四世 松井元祥(1964―1997)

現在に引き継がれ、1985年しばらく跡絶えていた『いきまつ松煙』を新開発された採煙方法によって再現することに成功した。

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