カテゴリー: 古梅園

  • 古梅園 墨の製造工程

    古梅園 墨の製造工程

    代々から受け継いだ墨製法

    墨には、菜種、胡麻、桐の油を燃やして採った煤から製する「油煙墨」、松脂(まつやに)を燃やしての「松煙墨」があり、最近は鉱物の煤から製する墨もあります。
    なかでも「油煙墨」は、粒子が細かく、黒さが深く、光沢の強い良質の墨です。油煙墨は室町期に興福寺のニ諦坊で、持仏堂の灯明の煤が天井にたまっているのを掻き集め、これをニカワとまぜてつくったのがはじまりです。
    当園では、代々継承した秘伝によって、上質の油煙墨を守りつづけています。

    1.採煙

    純植物性油を土器に入れ、燈芯に火をともして土器の覆いをつけて、それについた煤煙をとります。煤のつき方が偏らないように、20分ごとにすべての土器を動かします。

    2.膠の溶解

    牛など動物の骨や皮を原料とした膠を2重釜に入れて長時間湯煎をし、膠の溶液(とかした液)を作ります。

    3.木型

    梨の木で作られた墨の木型には、墨の文字、図柄が彫ってあります。
    墨の1丁型の目方は15gで、木型に入れる時は、乾燥して小さくなるため生墨で約25g入れます。

    4.型入れ

    すすと膠の溶液と香料の含ませたものをとり出し、手でよく光沢のでるまで練り墨型に丁寧に型入れします。

    5.灰乾燥

    木型から取り出した墨は、第1日目は水分の多い木灰に埋め2日目以降は除々に水分の少ない木灰に埋めかえていきます。
    この灰乾燥は小形で1週間、大形のもので30日~40日程度続けます。

    6.自然乾燥

    灰乾燥を終わった墨(約7割の水分が除かれる)は藁で編んで天井から吊して室内乾燥をします。普通約半月~3ヶ月を要します。

    7.化粧と磨き

    自然乾燥を終わった墨は表面に附着している灰やその他のものを1丁づつ水で洗いおとします。
    水洗いした後上薬を塗布して表面に化粧を施します。さらに商品によっては炭火で焙り表面を柔らかくして蛤の貝殻で良く磨き光沢を出します。

    8.彩色仕上げ

    磨かれた墨は(水洗いで含まれた水分を除くため)3日及び1週間位空気乾燥をし、金粉、銀粉、その他の絵具を使って彩色します。

  • 400年以上続く古梅園の歴史

    400年以上続く古梅園の歴史

    室町末期に始まった古梅園の製墨業

    古梅園が奈良の地で製墨業を始めたのは室町末期のことで、初代 松井道珍(1528-1590)は官名土佐掾を拝領した。
    二代 道慶は官名土佐掾を拝領、以後この官名は代々受け継がれていく。
    三代 道寿(1611-1697)は、梅花を好み軒下に多くの梅の樹を植え、世人は古梅園と称するに至った。
    四代 道悦(1641-1711)の子、五代 元規は学問を好み、伊藤仁齋に師事して学問を修めた。
    『諸家人物志』(寛政4年 1792版)には、「松月元規、東庵と号す。南京の墨工なり。頗る文雅を好み、名家と交る。
    家造の墨譜を作り、雅客文人もしくは詩を乞うて冊とす。世々古梅園を以て通称とす」とあるように、商儒として知られ、その詩を集めた『東庵詩稿』を刊行した漢詩人でもあった。
    一方、和墨の研究、改良にも励み、その遺志は六代 元泰に受け継がれた。

    元泰(1689-1743)については『古今墨跡鑑定便覧』(安政2年 1855版)の紹介が要を得ている。
    「名は元泰、字は貞文。玄々齋と号す。南都の墨工なり。和泉掾を以て世々通称とす。父東庵学を好み、又詩を能くす。元泰、父の箕裘を嗣て、嘗て書を唐土に通じ、彼土の墨法二品を伝う。其の法に依て精製す。再び元文中、官許を得て長崎に赴き、清人の解墨の法を見、又精造す。元泰頗る書を善くせり」

    元泰が中国の製墨法を探求せんとした努力は、『墨譜』の処々に記された文にも示されているが、元文4年(1739)に官許を得て長崎に赴き、長崎寄留の清国人9人と、中国に於ける製墨法について質疑応答した際の記録が『唐人墨製問答之記録』と題する自筆本で残されている。

    また日本の製墨の起源を研究したものに『延喜式墨本私考』があり、これも自筆本で残されている。また「豊山香墨」に寄せられた文人の詩を集めて『名墨新詠』(『古梅園名墨新詠』)にまとめ、正徳2年(1712)に刊行、さらに清人の寄せた詩を集め『大墨鴻壺詩集』にまとめ、享保19年(1734)に刊行している。

    文墨に対する深い嗜みと、造墨業に対する熱意の結実がこれらの墨に関する書物であるが、その精通はやはり『墨譜』と『古梅園墨談』ということになろう。
    七代 元彙もまた父の遺志を継ぎ、紅花を混ぜた「紅花墨」を創製するなど、墨業に励むとともに、父の『墨譜』を継ぎ『後編』を編纂した。
    要するに、元規―元泰―元彙の三代にわたり、古梅園は造墨の面で大きな進歩を遂げると共に、墨史の面でも貴重な研究成果を著作に残したのである。

    古梅園 歴代当主

    始祖 松井道珍(1528―1590)[ 官名 土佐掾 ]

    大和国十市(やまとのくにとおち)城主 中原遠忠につかえ、天正五年(1577)に南都の地(奈良)に移住して製墨業を始めた。
    当時は日本の製墨業も未熟であったため、『延喜図書寮造墨式』・『李家製墨法』・『空海二諦坊油煙製法』などにより研究を重ね、良質墨の製法を開発。慶長8年(1603)には良墨を朝廷に献上。その功により、「土佐掾」の官名を賜った。通称、又三郎。

    二世 松井道慶(1578―1661)[ 官名 土佐掾 ]

    自宅庭の一隅に梅の古木があり、来訪した文人や墨客が皆その古木を賞揚したため、これより梅の古木にちなんだ園号として『古梅園』の称が誕生した。
    桐箱の銘には「古梅園 初代翁作」とあるため、「古梅園」と園号を誕生させた 二世 道慶 の作と推測。

    三世 松井道寿(1611―1697)[ 官名 和泉掾 ]

    徳川幕府の用達を受け、江戸に駐し、諸侯邸の用命を承った。


    四世 松井道悦(1640―1711)[ 官名 土佐掾 ]

    五世 松井元規(1660―1719)[ 官名 越後掾 ]

    儒者 伊藤仁齋の門をくぐり、学業を修め、東庵と号しました。

    六世 松井元泰(1689―1743)[ 官名 和泉掾 ]


    別名、玄々齋貞文。
    元文四年(1739)、幕府の許可を受けて長崎で清人墨家の程丹木・汪君奇などと交友を持ち、両国製墨法の技術交流を図った。
    その後『古梅園墨譜 四巻』、『古梅園墨談』、『墨話』などの文献を著。墨譜四巻の木型絵図の中には、現在も製造されている八角老松(八角)・寫經墨・玉蘭・大哉布袋(布袋)などが含まれている。


    古梅園 中興の祖である六代 元泰が造った墨。
    和墨の改良に努め、元文四年官許を得て長崎で清国人墨司と製墨法を交換良墨を製する年代の代表銘墨。

    七世 松井元彙(1716―1782)[ 官名 和泉掾 ]


    父 元泰の命により、紅花墨を試作、完成させ『古梅園墨譜 後編五巻』を著した。
    以後『墨=古梅園』と同一語に用いられる程、人口に膾炙され、墨譜後編には五魑・竹林七賢・神仙墨・紅花墨・飲中八仙・玄之又玄など、現在も製墨されている墨が含まれている。


    「古梅園墨譜後編」を著し、書用墨「紅花墨」と称する銘墨を創作。
    更に清国人と交遊することで画用墨も創った。
    時代の銘墨中の銘墨。

    八世 松井元孝(1756―1817)[ 官名 和泉掾 ]


    官名「和泉掾」を賜り、家業泰平に墨業を営む。


    江戸中期の化政時代に開花した文化の中で、墨型を作製した中の銘墨。

    九世 松井元誼(1799―1857)[ 官名 和泉掾 ]

    官名「和泉掾」を賜り、家業泰平に墨業を営む。

    十世 松井元長(1828―1865)[ 官名 土佐掾 ]

    明治維新に際し、官名を奉還して「宮内庁御用達」となる。
    土佐掾の冠名を明治維新に際して官名を拝辞。


    宮内庁御用達となった自慢の代表的銘墨。

    十一世 松井元淳(1862―1931)


    奈良市名誉市長を務め、大正四年営業を会社組織に改めた。


    明治維新。業界では逸早く外交員を全国津々浦々まで派遣し、市場拡大した際の銘墨。

    十二世 松井貞太郎(1884―1952)

    貴族院議員、奈良市名誉市長を歴任。
    製墨業界に貢献した。


    十三世 松井元慎(1913―1967)

    終戦時の激動期に際しても四百年の老舗を堅守した。

    十四世 松井元祥(1964―1997)

    現在に引き継がれ、1985年しばらく跡絶えていた『いきまつ松煙』を新開発された採煙方法によって再現することに成功した。


  • 墨造り一筋昔ながらの製法の古梅園

    墨造り一筋
    昔ながらの製法の古梅園

    奈良墨の神髄を極める古梅園

    「墨」という名は「染み」からなまり伝えられたものといわれ、墨は永年に渡り消えることなく、虫に喰われることもなく残り続ける素晴らしい筆記具。
    奈良墨は大同元年(806年)、空海が唐から筆とともに墨の製法を持ち帰り、興福寺二諦坊で持仏堂の天井にたまった煤を集め、膠を混ぜて造られたのが始まりとされており、今なお奈良墨が全国生産量の90%以上を占めている。

    全国で古梅園だけの墨造り製法

    奈良市に墨造り一筋、昔ながらの製法を守り続けている安土桃山時代にのれんを掲げた「古梅園」がある。
    全国でも「煤採り」から墨を製造しているのは古梅園だけ。まさに唯一無二の存在だ。

    「煤採り」から始まる墨造りは、イグサをよった灯心に純植物性油を浸したものに火を灯し、それを土器で覆い、土器についた煤煙を採取する。
    煤のつき方が偏らないように、200個もある全ての土器を20分ごとに角度を変え、蓋の裏についた煤を鶏の羽根でかき集める…。

    二百の炎から取る油煙墨

    気の遠くなるような作業を8時間休みなく繰り返しても、採取できる量は1kgにも満たない。
    採煙室の外壁は、煤の微粒子で白壁が煤で真っ黒に変色。
    中に入ると無数の炎の熱気に加え、幻想的で神聖な印象を受けた。


    透明感のある上質の膠

    墨は煤と膠、香料を加えて製造されるわけだが、牛など動物の骨や皮を原料とした「膠(にかわ)」を2重釜に入れ、長時間湯煎を行い、膠の溶液が作られる。
    墨造りは、この膠が腐らないように秋から春までの気温が低い期間しか行うことができないわけだが、ということは…と鼻を突くような臭いを覚悟していたが、驚くほどに臭いはなく、精製され、不純物が極めて少ない上質の膠ならではの透明感と伸びを目の当たりにした。

    「うちは上質の膠を使っている」と従業員の方が口を揃えておっしゃるのもうなづける。
    こうして準備が整えられた煤と膠に心が安らぐ香料(じゃ香/梅香など)を加えた後が「墨匠」の出番。
    遂に墨の運命を握る「練り」の工程が始まる。


    熟練した技術による墨練り

    モチ状の生墨を墨玉が光沢を放つまで足でまんべんなくねりこみ、さらに仕上げを手で練り上げる。
    「練り」は墨の良し悪しを大きく左右する。
    木型に入れる直前、墨玉は墨匠の手の中で円柱形の状態に仕上げられるわけだが、練り転がす回転が僅かに狂えば、乾燥後の墨に反りや割れが生じてしまう。
    「練りを止める瞬間は、墨玉が教えてくれる」というから驚きだ。
    熟練した職人ならではの研ぎ澄まされた神経が、狂いのない瞬間を見極めている。

    水分量を把握した熟練技「型入れ」

    墨の重量単位は、「丁」。(1丁=15g)
    水分が乾燥していくことを計算の上、1丁=約22.5gを型に入れる。
    僅かな差は、気温湿度が計算された職人の勘。
    墨匠の勘に狂いはない。


    灰を使った丁寧な乾燥

    型入れを完了した生墨は、梨の木で作られた木型に入れられ、万力で固定される。
    木型から取り出した墨は “ようかん” のように柔らかい。
    この墨が「灰乾燥」に回され、ここで灰乾燥職人の出番となる。
    木型から取り出した墨は、灰乾燥の部屋の周囲にぐるりと並べられた木箱の灰に埋められながらゆっくりと乾燥させていく。

    水分量に気を配った乾燥工程

    乾燥第1日目は水分の多い木灰に埋め、2日目以降は除々に水分の少ない木灰に埋めかえていく。
    この灰乾燥は小形の墨で1週間、大形の墨で30日~40日程度続けられる。


    墨匠による至高の墨が完成

    灰乾燥を終えた墨は、約7割の水分が除かれ、さらにその後墨を藁で編み、天井から吊して室内で自然乾燥をさせる。
    乾燥期間は、普通約半月~3ヶ月を要し、自然乾燥を終えた墨は、表面に附着している灰やその他のものを1丁づつ丁寧に水で洗いおとし、その後秘伝の上薬を塗布して表面に化粧を施す。
    商品によっては、さらに墨の表面を炭火で焙り、表面を柔らかくし、蛤(はまぐり)の貝殻で光沢が出るまで磨き上げていく。全てが手間の仕事だ。

    多くの作家から支持される古梅園の墨

    こうして完成した「墨」は、販売店の店頭に並ぶと決して安くない商品になる。
    しかし、これだけの工程を経て造り上げられた墨は、作家の期待を決して裏切らない確かな製品。
    プライドを掛けて造られた製品は、墨を磨る水の準備から始まり、気温・湿度にまで気を配り、墨の磨り方、硯の合わせ方、紙の吟味…

    「墨液」なる便利なものを利用する人が年々増える中、「作品制作は墨でなければならない」という本物を愛してやまない作家から絶大な信頼を得ている。

    永年培ってきた技術と製法を今なお頑なに守り抜く古梅園。
    手間暇を惜しまないその確かな ものづくり の姿勢こそが、まさに 「PRIDE(誇り)」 そのものである。